Warning: "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/vitrum/www/public_html/wp-includes/pomo/plural-forms.php on line 210
第64回正倉院展 紺瑠璃坏について – Vitrum Lab.

Blog:羅馬は一日にして成らず -2nd edition-

第64回正倉院展 紺瑠璃坏について2012.10.18

今年の正倉院展に「紺瑠璃坏」と呼ばれるガラスが18年ぶりに展示されるようです。
詳細は以下に書いていますが見どころは

  • 環状ガラスのつなぎ目
  • 銀製脚台
  • 韓国出土の類例がソーダ石灰ガラスなのか鉛ガラスなのか(紺瑠璃坏と同タイプのガラスとして非常に有名なので
    解説があると思うのですが・・・・そこにこのガラスの成分があれば要チェック!)


2012年10月17日の読売新聞

概要

コバルトブルーのガラスで、本体とは別のガラスで作った小さな環状ガラスが上段に8個、中段に8個、下段に6個の
合計22個が配されており、本体下部では銀製の脚が付けられています。脚まで含めた高さは最大11.2cm、脚を含めな
ければ8cm、口径は真円ではなく8.5~8.6cm。アルカリ石灰ガラスでコバルトによる着色。

由水氏によればササン朝ペルシア時代末期に製作されたガラスであるとされ、新聞記事にある韓国の緑のガラスの例のように同類
のガラスが7世紀、そしてもともと付けられていたとされる唐草文脚の意匠からも、忍冬唐草文の流行が7世紀にみられるということから、
このガラスの年代は7世紀とされています(由水常雄2009年『正倉院ガラスは何を語るか』pp.143-165)

環状装飾

小さな環にはそれぞれつなぎ目があって、全て下を向いています。口縁に近い部分の環はやや横に伸びていて、これは坏の口を
広げる時に口もとのガラスとともに伸びたからと考えられます。また中段・下段はやや縦長となっており、本体を成形している間に伸びた
と考えられます。ということは、口を広げる前に環が付けられていたと考えられます。 つなぎ目が全て下を向いているということに驚きました。
窯の外でガラスが成形できる軟らかさを保っているのは数十秒~長くて数分程度です。この間に環状装飾を本体につなぎ目もそろえて
付けていったとは考えにくく、この環状ガラスはあらかじめ準備していたものと考えられます。だとしても、非常に手間のかかるガラスです。

由水氏は1つ1つ熔着することによって復元に成功しているということですが、コツは環状ガラスの半面も本体もよく加熱して熔着するという
ことだそうです(同 p168)。このやり方では先に付けた環状ガラスほど本体とともに何度も加熱されるので、後の方になると、先につけてお
いた環状ガラスが軟化して本体となじんでしまう恐れがあります。この加熱の程度をうまくコントロールすることも難しかったと思われますが、
どのように加熱したのか見てみたい。

ちなみに、 韓国の緑のガラスでは3段にわたって各4個ずつ、計12個の環状ガラスが配されていますが、それらの方向はバラバラで、
しかもこの環状ガラスの中に真珠で縁取った琥珀がはめ込まれていたが(下図)、すぐに剥がれてしまったとのこと(この真珠もかつては
ガラス小玉と言われていました)。

この緑のガラスに関しては『正倉院のガラス』(日本経済新聞社1965)ではアメリカの測定を引き合いに出して鉛ガラスとしていますが、
由水氏はソーダ石灰ガラスとし(同p.160)、ドロシー・ブレイア氏もアメリカの測定値に疑問を投げかけている(日本硝子製品工業会編・訳1998年
『日本の硝子史』p.344、ドロシー・ブレイア著) 。ソーダ石灰ガラスか鉛ガラスか。正倉院展でそれが分かればいいのですが。


由水常雄1994『ガラス工芸』より

紺瑠璃坏は一見ワイングラスのようですが、この脚は後世の明治時代の補修の際に金工家によって制作されたものが付けられた
とされており、ガラスが作られた当時からあったわけではありません。実をいうとこの補修の後になって、もともと付けられていたと思
われる台が同じ正倉院から見つかっており、明治時代に付けられた台は、坏を受ける部分が蓮弁形ですが、発見されたものは忍
冬唐草文の透かし彫りとなっていて、意匠が異なります。この透かし彫り唐草文同士の間にちょうどガラスの環が収まるように設計さ
れています。

韓国で発見された同じタイプのガラスには脚はありません。脚をつけないのが本来のあるべき姿なのかもしれません。
脚については日本でつけられたのか、中国でつけられたのか、新羅でつけられたのか、分かっていませんが、いずれの国も忍冬唐草文が
流行していたのでそれぞれに可能性があるようです(由水 同p.165)。

参考文献

  • 日本経済新聞社 1965 『正倉院のガラス』
  • 由水常雄 1994 『ガラス工芸』 桜楓社
  • ドロシー・ブレイア 1998 『日本の硝子史』 岩田糸子 監 吉田晃雄・上松敏明 訳 日本硝子製品工業会
  • 同 2009 『正倉院ガラスは何を語るか』 中公新書
2012.10.18 23:31 | ブログ, 博物館へ行こう

コメントを残す