副題にあるように、X線で文化財を調査するという方法は今盛んに行われています。近年は発掘現場から遺物の持ち出しが厳重に規制されていることが多いので、調査団が分析機器を持ち込んで、その場でデータを採っていくということも行われるようになりました。著者もポータブルな分析機器を現場に持ち込んで調査されています。
本書のテーマは「色」ですが、これとX線とどう関係があるかというと、色を出すためにはその色を発する金属を含んだ材料が使われているので、その金属を検出できればたとえ現在では色あせて目には見えなくても、それが作られた時代にはどんな色に仕上げられていたのかということが推定できるのです。例えば、青色のガラスからはコバルト、銅などが検出されます。これらはガラスそのものの原材料としては必要ないものなので、発色のために添加されたと考えられます(ただし中にはそれが意図的だったか、自然に混入したものなのか検証が必要なものもあります。例えば古代ガラスでよく見られる淡青緑色は鉄分による発色と言われていますが、ガラスの原材料として使われていた砂には自然と鉄分が含まれており、これを除去する方法を知らなかった古代ではおのずとガラスに色がついてしまいます)。
これら色の原因となっている物質を推定するためによく使われる分析方法は「蛍光X線分析法」で、X線を当てることによって分析対象を構成している物質からその元素特有のX線が発生します(これを「蛍光X線」という)。これを検出することによってどんな物質が使われているのかが推定できるというわけです。しかしこの方法では元素が検出できたとしてもそれがどのような形(結晶構造)で存在しているのかまでは分かりません。結晶構造を知るためには別の分析法「X線回折分析」が必要で、この分析では結晶構造が分かるため、分析能力が高くなります(ちなみにガラスは非晶質なのでこの分析法は適用できません)。本書の分析で面白いところは、分析ポイントに対して蛍光X線分析とX線回折分析の2つの分析が可能という分析機器を開発して使用しているところです。そのため、検出元素と結晶構造から、発色に使われた鉱石まで同定していることや、金については金箔なのか、金粉なのか、アマルガム法なのかの違いまでも調査しています。
ガラスに関しての興味深い分析結果も見ることができました。古代エジプトではツタンカーメンの黄金のマスクの頭巾にあたる部分に”濃い青色”、胸飾りに”水色”、顎鬚に”灰色っぽい青色”など、特に青系の色に特徴が見られますが、”濃い青色”と”灰色っぽい青色”からは人工顔料「エジプシャン・ブルー」が検出されました。CaOCuO4SiO2の組成を持つ顔料です。さらに特殊元素として「マンガン、鉄、コバルト、ニッケル、銅、亜鉛」が検出されています。鉄やコバルト、銅などは個々でガラスに含まれることはありますが、これら全てが含まれているガラスは聞いたことがなく非常に興味深いものでした。この特殊な組成のブルーを「ツタンカーメン・ブルー」と表現し、特別扱いしていますが、ここに至るまでのいきさつもまた興味深い。
本書によると、古代エジプトの青系は「エジプシャン・ブルー」「アマルナ・ブルー」「ツタンカーメン・ブルー」と大きく3つに分けています。「エジプシャン・ブルー」は上記のとおり顔料として使われたもので、4500年以上前から見られる世界最古の顔料とされています。青色は死後の世界を象徴する色だそうです。「銅・カルシウム・ケイ素」の化合物ですが、これらの比率にはばらつきがあり、”濃い青”~”緑青”~”水色”まで変化するようです。
「アマルナ・ブルー」はアクエンアテン王時代の青色顔料で、白色顔料(炭酸カルシウムか無水硫酸カルシウム、あるいは両者)と「マンガン、鉄、コバルト、ニッケル、亜鉛」の混合物。つまり「アマルナ・ブルー」は、次の時代にくる「ツタンカーメン・ブルー」から発色剤の「銅」だけが含まれていない顔料で、これに銅を含む「エジプシャン・ブルー」が加えられると「ツタンカーメン・ブルー」の誕生となります。
しかし「エジプシャン・ブルー」も「アマルナ・ブルー」も顔料であって、これらを混ぜ合わせてもガラスにはなりません。これらでガラスを作るにはトトメス3世(前1504-1450)の時代にミタンニ王国からガラス職人が連行されてくるまで待たなければなりません。ミタンニ王国ではガラスが盛んに作られていました。彼らの技術とエジプトにあった顔料の知識が合わさって美しい青色系ガラスが作られるようになった―という筋書きです。
古代エジプトのガラスといえばコア・ガラスというイメージが強く、ツタンカーメンのマスクなどに一部ガラスが使われていることは知っていましたが、それほど注目はしていませんでした。壁画の色使いなどから顔料の知識は豊富だったことは容易に推測できます。現代ガラスの考え方としてはガラスに顔料を入れるという考えは一般的ではないように思われますが、当時としては発色剤として顔料を使うことは普通に行われていたのかもしれません。
本書では検出された「エジプシャン・ブルー」や「ツタンカーメン・ブルー」の組成から実際にガラスを作る実験も行っており、これもまた非常に興味深いものです。
ガラスに関わる部分を中心に紹介しましたが目次にあるように分析は他の素材にも及んでいます。科学分析からの見解のみで全てを判断することはためらわれますが、これらの情報と実際の考古学的調査を総合的に判断して研究できれば、非常に面白い研究が可能となるでしょうし、この蛍光X線分析とX線回折分析を併せ持った分析機器の今後の活用にも期待ができそうです。ちなみに本書には分析データが納められたCDが付いています。情報開示を求める著者の考えが実現された本でもあります。
&