『考古学崩壊』
2000年、考古学会を震撼させた事件として、考古学を学んでいない人にも関心がもたれたのでは
と思う大きな事件がありました。「前期旧石器ねつ造事件」です。アマチュア考古学者が地面に石器を
埋めているところを朝日新聞によってスクープされた事件。
これを発端に次々と彼の関わった多くの発掘でのねつ造が芋づるのように出てきて、日本の考古学、
特に旧石器時代の研究分野の信頼を失墜させたと言われています。本書を読んで初めて知りましたが、
20年もねつ造をしていたとか。
あれから14年が経ち、それからも全く改善されていない考古学の現状を憂いた、石器を専門とする
考古学者により本書は書かれています。
なぜ今更またぶり返すのか?と思っていましたが、著者のいいたいことは、この事件のことをあれこれいう
というのではなく、この事件から学んだことを今もって何も実現できておらず、近年にいたっては自然科学
的研究の成果に偏重し、 本来考古学の基本であったはずの実物観察の重要性がますます希薄になって
きていることを指摘。マスコミに取り上げられないといっぱしの考古学者になれないという風潮があることも
問題だとして、今の考古学は危機に瀕しているということでした。
なぜ、ねつ造事件と、今の考古学の現状がつながるのか?
そもそもねつ造事件が起こったのは、石器を見る目がない専門家がお墨付きを与え、マスコミも巻きこんで、
事態を大きく捻じ曲げてしまったのだということです。問題になった遺跡から出土した石器は、著者はもちろん、
お墨付きを与えてしまった考古学者も縄文時代の石器に似ていると言っていたにもかかわらず、その石器が
出土した層が旧石器時代に属することから、石器の詳しい分析や解釈が行われないまま、 それを旧石器時代として
しまった。後から埋めたものは発掘すれば分かるはずなのですが、その出土状況も詳しく確認されることがないまま、
「最古の」という新聞記事を賑わす成果に酔いしれ、突き進んでいった。 最終的には北京原人とほぼ同時代の原人が
日本にもいたということになり、その遺跡を生んだ東北地方では町おこしに利用されるまでにコトが大きくなったといいます。
著者は石器を見る目があればねつ造を見破ることができたはずだと、厳しい口調でねつ造を見破れなかった考古学者
を非難しています。そしてその目を養うのは多くの実物観察と実測からであって、理論ではないと主張。
しかし理論が前面にでるような風潮では、学生もそのような研究法を学ぶことになり、考古学として基本的な
モノを見る目が養われないまま発掘を任される世界へ駆り出され、ますます理論ばかりの学問になってきていると
して、これを考古学の崩壊と危惧しています。
著者の論調は読み手までドキドキさせるくらい激しい時もありますが、たしかに科学的な分析結果がすべて正しいと
思ってしまう空気がないとはいえない。私が大学で教わったのは、考古学的な観点と科学的な観点からのクロスチェック
ができる知識と考え方でした。それがガラス研究において、作家の意見を参考にしつつ、自分の持っている古代の環境
の知識を組み合わせて、自分で作って研究するというスタイルにつながっているわけですが、実物観察から見えないものも
ある。この時は科学の力を借り、科学者は考古学者の見解を聴く。相互に補い合って発展していくことが望ましいですね。
著者は崩壊というタイトルを付けていますが、決して崩壊を望んでいるわけでも傍観しているわけでもなく、この学問は
一生をかける価値のある学問だと最後に書いています。個人的に本書を読む限り、派閥同士が歩み寄るような雰囲気は感じられ
ないのが気になりますが(笑) 、考古学の研究法の原点を久しぶりに垣間見たような気分になる内容でした。
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