『海難1890』
映画好きな私ですが、最近めっきり観に行く時間が減りました。映画の本数も少なくなくなっているような。
これも見逃した映画のひとつですが、今日は午前中はゆっくりできるので家でようやく見ることができました。
『海難1890』
トルコが親日であることはよく知られていますが、その友好関係のはじまりのきっかけとなった
和歌山沖のトルコ軍艦エルトゥールル号沈没事故。明治23年のこと。
地元人がトルコの乗組員を夜を徹して助け、618名中69人が助かった。
その後、生存者をトルコへ無事に送り返したという話。
この話には続きがあって、
1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」
ということを世界に向かって発信したことがありました。このとき日本政府が対応が遅れたために救援機を出すことができなかった
ため、イランに住む日本人はパニックに。そこに2機のトルコ航空の飛行機が到着し、日本人216名全員を乗せて、
トルコに向かって飛び立ったということがありました。タイムリミットの、1時間分前のことでした。
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも分かりませんでした。
後に駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」語りました。
トルコではこの海難事故を学校で伝えるそうです。他国の悪いところばかり強調する政府の発言やニュースは見つけやすいのに
このような、いい話が見つけにくくなっているのは残念です。
さて、エルトゥールル号から引き揚げられた遺物の中に小さなガラス瓶があります。用途は不明。
映画でもこのガラス瓶が登場しますが、ここでは長旅にでる乗組員が、妻の涙を入れて持ち運ぶという、「涙壺」
として登場していました。過去のブログに数回紹介したんですが、リンク先が今ことごとくリンク切れで見れなくなっています(汗)
「よみがえる軍艦 エルトゥールル号の記憶」展 和歌山県立博物館
ここで紹介した本とDVD