明治大学にて開催された講演会に行ってきました。
副題にあるように”ガラスが結ぶアジアの東西”といえばシルクロードを想定します。
西アジアに位置するメソポタミアで発明されたガラスが、東の果て日本にどのようにして伝わってきたのか。
また、なぜそのようなことが分かるのか。視点も研究方法も異なるガラス研究者が、このようなテーマをもとに講演されていました。
忘備録としてここでまとめておきたいと思います。
*ただし、細心の注意を払っているつもりではありますが、録音して書き起こしているわけではなく、講演を聞きながら、
画像を見ながら書きとったメモでまとめているため、聞き間違い、聞き損じ、書き間違いもあるかもしれませんことをご了承願います。また、忘備録としての役割をもたせるために、内容に特別ことわりなく追記していることもあります。
西方のメソポタミアやエジプト、ローマといった古代ガラスの産地では
ガラス玉のほか、器も多く見つかっていますが、東端の日本に目を向けると、
ガラス玉が中心になります。ガラスの器では正倉院ガラスが特別有名ですが、
ガラス器の出土例は少なく、体系的な研究は難しいのが現状。
ガラスの玉とて、大量に出土しているものの外観上はどれも似たり寄ったりで、
いくつかの特徴から技法で分類はできるものの、それによって産地や交易ルート
を解明するのは難しく、これまで(そして今も)体系的な研究はされてきませんでした。
しかし、近年、非破壊分析法の発展と分析装置の小型化によって、ガラス玉の化学分析が
積極的に行われるようになり、大量のガラス玉を成分から分類できるようになってきており、
産地やルートが詳細に分かるようになってきました。こうした研究成果をもとに
5人の研究者が講演を行いました。
続く