前回から間があいてしまいましたが、本講演会最後はイスラーム考古学の真道氏。
学生の頃からお世話になっている方で、私がイスラーム・ガラスに関わるきっかけを
与えて下さった方でもあります。
近年、考古学というよりも政治的な関係で注目されているイスラム教。世界的には信者は多いものの
日本ではまだあまり詳しくは知られておらず、むしろ「テロ」と結び付けられたイメージを
持つ方も多いかもしれませんが、実際にはそうではない。だからこそイスラーム考古学が果たす
役割が大きいとのこと。
役割
一昔前のイスラーム考古学は宝探しの発掘だったが、やがて遺跡の機能(港湾都市といった)に着目される
ようになり、そして今では、社会の文化や歴史問題の解決を目指すという役割も担うようになっている。
①フスタート遺跡
無装飾のガラスや、たくさんの種類の装飾ガラスが出土。これらが十字軍によってヨーロッパに伝えられ、
ヴェネツィアガラスとして花開くこととなった。
ローマ帝国だった地域をイスラームが支配するようになっても市民の生活は変わらなかった。
税を払えば改宗しなくてもよく、その税ももともと普通に払っていたものだったため、イスラームの
支配はスムーズに進んだ。
9~10世紀、アッバース朝の時代にイスラームの共通的なものが生まれてくる。ガラスでは
無色透明ガラスが作られるようになる。
例えば↑このようなガラス。写真では見えにくいが、本体と底面にカット装飾が見られる。
エジプト系では肩部がなで肩になっているが、イラン系のガラスは肩部が張り出しているという特徴がある。
②ラーヤ遺跡
パレスティナで8世紀のガラス製作址が見つかっている。
9世紀~10世紀のガラスは植物灰ガラス
③トゥール遺跡
ここからは尖底の細長いクフル顔料容器とスティックが出土している。
以上のように同じイスラーム圏でもフスタート出土ガラスのように器形に統一性がありつつも、
地域による差異があることも分かった。
中国唐代にはイスラーム圏と交易があったことが分かっており、その内の1つとして薔薇水が中東の産物として
ガラス器とともに登場する。
花の香りを脂肪や油に吸い取らせた香油があるが、イスラーム期以降、花弁から香水をつくりだすことに
成功しており、その製造用の一連の装置の一つである受け器として口径が約1cm前後の細い頸部と円筒状の
胴体、丸い底をもつコバルト・ブルーの容器がつくられた。
中央アジアを横断するルートはシルクロードと呼ばれ、訳すと「絹の道」。
ラクダで運ばれる陸路は、ガラスにとってはいい環境とは言えなかったようで、
インド洋を渡る海上ルートが主な交易ルートだったことが中国の史書や東南アジアの発掘
によって分かってきている。時代的には9世以降、ガラス器交易が盛んになった。