『発掘捏造』
前回に紹介した『考古学崩壊』の中で、この物々しいタイトルの発端となったのが「前期旧石器ねつ造事件」。
これをスクープした毎日新聞社による全容が描かれています。
取材側から書かれた内容なので、学術的というよりもドキュメント。この事件の背景に何があり、F氏がなぜこのような
愚行に出たのか、そしてそれからの考古学会の動きは。そして世に出すための葛藤と問題提起の仕方への気配り
(F氏を追い込まずにどうやって真実を語らせるか、個人攻撃にならないか)が分かりやすくまとめられています。
大筋は『考古学崩壊』を読んでいたのでだいたいは分かっていましたが、記者として単に当人や学会を非難するのではなく
何が問題なのかを、旧石器の素人記者たちが勉強して、取材して知識を積み重ね、現場を押さえ、本人から考えを聞き出し、
周囲の意見も聞きながら、あぶり出して、その後は座談会という形を設けて、関わった人たちや周囲の研究者の意見も
世に出しているところが、記者側の動きとしてよく分かりました。かなり公平に、問題の本質がずれないように気を配って
いる感じでした。このスクープがなければ、まだ捏造が続けられ、日本の歴史が歪められていたのかもしれない。
本書で大きな問題はその14年後に出された『考古学崩壊』でも指摘されていますが、発掘者たちが自分の都合のよいように
解釈し、それを学会などで検証することなく、発表し、疑問が投げれられても顧みることなく、あたかも認定されたかのように
話が突き進んでいったことにあり、別分野の事件で記憶に新しい「STAP細胞」と共通する部分があるように思えました。
考古学としてのこの問題にはマスコミによる伝え方と行政発掘という問題がちらほらと顔を出すのですが、日本は開発に伴う遺跡調査が本書によると
少し古いデータ(1988年)ですが年間7400件越えという発掘大国。 しかし学術的な調査は6%程度にとどまり、後は開発優先がほとんどで、
せめて遺跡が潰される前に記録でもとりましょうということがほとんど。中には発掘調査ではなく「発掘処理」だと表現する調査員も
いるくらい、公的バックアップがないといいます。発掘費用は開発者が負担するため、開発者からの圧力が強く、 これらのプレッシャーが
考古学を「発見第一主義」に陥らせていると分析していました。要するに「最古、初めての発見」といった読み手の興味をくすぐる見出しが
付けれるような発掘でないと、評価されないという目に見えない圧力。検証されることもないまま報道されてしまうと、後での解釈の変更や
修正がかすんでしまい、発見されたばかりの検証も甘い状態の情報が独り歩きし、それが読み手に記憶されるという方式。
驚くことに原人が存在したとされ、しかも時間や生死の概念があったと報道され一躍有名になった上高森遺跡は詳細な報告書すら
出ていない。新聞の報道が独り歩きし、舞い上がった挙句の捏造発覚です。
『考古学崩壊』を著した竹岡氏が本書の中でインタビューに答えています。
「新たに建設的な方向に学問が進むことを期待して準備しています」
さて14年後。学会はこの事件を受けて反省をしたかに見えましたが、このような大事件があったのに何も変わっていないと
14年後に彼は指摘することになります。
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