朝日新聞「GROBE」副編集長の国末氏の著書。つまりジャーナリストからみた無形文化遺産の姿を描いた内容。個人的に毎週日曜日に届く朝日新聞の「GROBE」が好きで、たまたま勤務先の社長との会話でこの新聞の編集者と食事にいくという話を聞き、半ば強引に同席させていただいて、国末氏とお会いすることができました。この時は中東の戦時下にある国の取材の話を聞き、私も古代ガラスの研究で中東によく行ったという話をして楽しい時間を過ごしたのですが、後日、この本を自宅に届けて下さいました。
考古学は遺跡を発掘することが研究の基本となっていることから、大学時代の講義では形のある「遺跡」に関連して文化遺産や世界遺産、文化財などについてはよく出ていましたが、無形文化遺産については軽く触れられる程度でした。無形文化遺産とは伝統芸能、技術、言語・・・などといったそれこそ「形のないもの」を対象とした遺産で、定義が難しい。
著者は世界各地の無形文化遺産を訪ね歩き、聞き取りなどをしていきます。時に車がいけないような断崖絶壁の道を歩いたりして取材をするのですが、このような取材の様子が描かれているのが、専門家の書いた本とは違う雰囲気を醸し出していて、面白い。ジャーナリストならではの視点で無形文化遺産のもつ問題点や悩ましいところが鋭く指摘されています。大学時代、世界遺産について調べる課題があった時、京都や奈良の世界遺産に選ばれた寺社に取材に行ったことがあるのですが、世界遺産に登録しようと躍起になっている役所と選定された場所の従業員との間に大きなギャップがあると感じたことがあります。観光客を呼び込みたい、知名度を上げたい役所は一生懸命登録を目指すのですが、当の神社におられるお坊さんは、選ばれたからと言って保存修復などの費用がでるわけでもなく、また選ばれなかった近くの寺社のことを考えると喜んでいいのかどうかとまどっておられました。本書でも指摘されていましたが、このことは無形文化遺産でも同じことが言え、外部の学者や政治家が「これは遺産だ」と言っても、本人たちにその意思がなければ遺産とみなしてよいのだろうか?という問題があります。
とはいえ、無形文化遺産を守ろうとする活動の裏には、急速に進むグローバル化の波により世界の文化の多様性が失われようとしていることに対する危機感があるといいます。一方で、グローバル化という波を通して、オタクでない限り知り得なかった情報が一般人にも手軽に入り、話題になり、その文化が注目されるという側面もあるため、一概にグローバル化を悪とみなすこともできないという考えもあるという。各地の一般の人から必死で伝統文化を守ろうとする人まで、色々な立場の人の生の声を取材で取り上げ、ジャーナリストならではの調査力と分析力、そして国末氏自身の人柄も混じった内容に仕上げられているこの本は、どちらかというと有形の文化遺産に関わることが多かった私に無形の文化遺産の興味を持たせてくれました。そういえば、トルコの伝統的なガラス製造は安価な中国製品の流入や、過酷な労働環境によって後継者が育たず、失われようとしていますが、これも無形文化 の1つといえる。古代ガラス研究の視点だけでなく、無形文化遺産としての視点でこれを研究するのも面白いかもしれない。