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日本ガラス工芸学会2014年度大会 ② – Vitrum Lab.

Blog:羅馬は一日にして成らず -2nd edition-

日本ガラス工芸学会2014年度大会 ②2014.11.20

②「中国春秋戦国時代から漢代におけるガラス管珠の様相」 小寺 智津子(日本学術振興会特別研究員)

こちらは中国のガラス珠のお話でした。「玉」は中国では「玉(ギョク)」という高級な石を指すので、
区別するために「珠」を使っているとのこと。なるほど・・・・

中国でも多くのガラス珠が見つかっていますが、本研究は文様のない「管珠」に焦点を当てています。
管珠というのは例えばコチラにあるような、名前の通り、管のような珠。同類としてエンタシスのようにふっくらした
タイプもあります。

色は緑、青色系が圧倒的に多い。組成は鉛バリウムガラス、鉛ガラス、カリガラス。発表①ではソーダ石灰ガラスが
出てきましたが、古代ガラスは大別してソーダ石灰ガラスと鉛ガラスがあり、中国では後者が多くを占めます。

技法は主に3つ。「巻き技法」 :帯状のガラスを芯に巻く、「引き延ばし」:熔解ガラスを引き延ばす、「捻り引き延ばし」:
熔解ガラスを捻りながら引き延ばす、などがあるようですが、内部を中空に保ったまま伸ばしたり、捻ったりする具体的な
方法が悩みどころです。

出土品として装飾品であることが多いようです。石製品、陶製品など供伴物を伴って発見されます。

出土地域は戦国時代では華北・華中、山西省などですが、晩期~前漢になると、これらの地域からは見られなくなり
逆に周辺地域の東北、華南、モンゴルなどでみられるようになるという面白い現象が起こります。

被葬者は、戦国時代では高貴な人だったのが、時代が下ると庶民にも普及。

製作地は戦国時代では華北の山西省など、漢代では合甫など。アルカリ系ガラスはインドなどから

もたらされたようです。

ガラスが始めは身分の高い人物しか身に付けられなかったのが一般にも普及したり、ガラスの種類が増加したりといった
様相は、他のガラス品と同じ動きであると言えます。

戦国時代の出土地域が、戦国時代晩期~前漢ではほとんど出土せずに周囲から出土するようになる原因として
①管珠が漢代ではあまり使用されていなかった
②製作されたが副葬品として見られていなかった
③対外的に蛮族向けとして製作されていた

などが考えられるということでした。実情として中国での管珠研究はあまり進んでおらず、科学的な調査報告も
少ないようです。

 

今、日本国内の科学調査がさかんで、ガラス珠がアジアから流入してきたものがほとんどなので、中国での調査が進めば
国内出土ガラスのルートが明確になると考えられます。ガラス珠は管珠も含め、見かけが同じなので科学的調査が威力を
発揮すると期待されています。

 

 

2014.11.20 15:14 | ブログ, 研究会

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