『ガラスの旅』
1976年刊行なので、私が生まれる前に出された本です。古いといえども侮れませんでした。
これはタイトル通り日本各地のガラス工房や工場を渡り歩くという内容ですが、今でも健在の
工場の名前が出てきたり、昔はガラス工場ってけっこうあったんだと驚きました。
秋田県や新潟県のガラス工場では自前の石油井戸を利用してガラスを溶かしていたりなど、
今ではほとんど耳にしない国産石油が出てきます。今でも採れるのだろうか・・・
茨城県では照明器を吹いていたということで、これをパイプ引きというのですが、要するに
蛍光灯などに使う筒状のガラス管を機械ではなく人が吹いていたということです。
大阪もガラス屋が結構あったと聞いたことがありますが、本書では「日本板硝子」や「佐竹ガラス」が登場します。
特に後者の佐竹ガラスは建物自体が国の登録有形文化財に指定されている歴史ある工房で、非常に多くの
ガラス棒を作っているところで、私もここからガラス棒を調達しています。周辺にはもう少しガラス工場があった
ようですが、今は佐竹ガラスだけになっています。数年前に見学に行った時、もし建て替えをしたら、現在の
基準には合わないので、今と同じ建物でガラスを作るわけにはいかないのだというお話を聞いた覚えがあります。
有形文化財の建物をリフォームする難しさがあります。
佐賀県のガラスの特徴としてはなぜか3脚の器が多いとか。この特徴は今ではあまり聞かないと思うのですがどうでしょうか。
全体を通して、当時の主力は海に浮かべる浮子(参考「和歌山県・串本の旅」)、ランプのホヤ、理科学系ガラスなどで、
日常使いとしては氷コップなどがでてきますが、これらのほとんどを今は人が吹くということはありません。
このように、たった40年ほど前の日本のガラス工業の姿を垣間見ることができ、ものすごいスピードで国内のガラス事情が
変わってきていると感じます。著者はところどころで日本のガラス工業が遅れているという指摘をし、昭和50年にようやく「ガラス工芸研究会」
が設立されたと書かれています。これは後に「日本ガラス工芸学会」となります。私が所属している学会です。この学会のロゴマークは
著者の佐藤氏が作られました。
個人的に驚いた記述がありましたので紹介します。
「昔は職人は右膝を曲げ右の股の上で吹棹を手でころがしていた」
日本でも一人でガラスを吹いていた時代があったことを初めて知りました。古代ローマ時代のガラス職人と同じスタイルは
日本ではもう見られないと考え、シリアやエジプトなどの工房を調査したのですが、一応は一人吹きのスタイルが
日本にもあったことは興味深い。ちなみに著者によるとアシスタントを使うようになったのは招聘したイギリス人の影響に
よるものだそうで、それを悪習だとしています(笑)。
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