Blog:羅馬は一日にして成らず -2nd edition-

「鉄の弥生時代」展2016.05.15

大阪府立弥生文化博物館にて開催中の「鉄の弥生時代」」展に行ってきました。

炉を使う

高温の炎を扱う

リサイクル可能

などなど、ガラスと共通する特徴の多い鉄。弥生時代後半から鉄器が使われ始めたとされていますが、
日本でガラスが流通し始めるのもこの頃だとされています。鉛バリウムガラスは弥生時代前期末に登場、
続いて同時代中期にカリガラスが登場。とはいえ、原料からガラスを作る技術はまだ当時の日本にはなく、
輸入品を再熔解していたのではないかとされています。

ガラスと鉄が登場する時代がほぼ同じということで、日本の鉄を語る時、多少なりともガラスが展示される
ことが多いです。

さて、鉄の加工には炉を使うということですが、ガラスを熔かす炉と比べるとずいぶん様相が異なるようです。
淡路島・五斗長垣内遺跡の調査から、弥生時代の鍛冶の再現実験が行われ、簡単ではありますが、その
実験について展示されていました。

これによると「炉」と呼ばれるものは、地面の上に木炭を盛り上げて、送風管とふいごを取り付けただけの
簡単なものでした。それでも実験では1200度を達成したようで、この中に鉄を入れて加熱し、軟化させた
部分をたたいたり、折り曲げたりして加工したようです。 吹きガラスの場合、炉内のガラスを常に液状に保っておく必要があるため、熱が外に逃げないような囲いのある構造物になるので、同じ「炉」でもずいぶんと雰囲気が違います。

鉄器が使われる以前は石器が使われていました。そこで、石器と鉄器がどう違うのか比較するため、それぞれで木を伐採する実験が行われ、要した時間や切り口などの分析が行われていました。

この展示のテーマ、「鉄がいかに当時の社会に影響を与えたのか」。大学時代、鉄は朝鮮半島から九州にもたらされ、徐々に西から東へと流通し、瀬戸内海の終点、すなわち流通経路の終点の近畿にて数多く保有されることになり、それがやがて中央集権国家樹立へとつながったという論を学びましたが、すでに15年以上前の議論。今はもっと議論が進んでいることと思われます。普段何気に使っている鉄、当時としてはかなりインパクトのある素材だったことは明らかです。


 

2016.05.15 01:55 | ブログ, 博物館へ行こう

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