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シンポジウム「正倉院宝物白瑠璃碗の源流を探る -ササン朝ペルシア・ガラス研究の最先端-」③ – Vitrum Lab.

Blog:羅馬は一日にして成らず -2nd edition-

シンポジウム「正倉院宝物白瑠璃碗の源流を探る -ササン朝ペルシア・ガラス研究の最先端-」③2017.02.14

*私が発表内容を聞きながら書き取り、レジメも参考にしつつ、備忘録として手元にある資料も使ってまとめたもので、
どうしても聞き逃しや、レジメや口頭での発言に誤りがあったりすることもあるため、内容を100%網羅しているわけではないことご了承くださいませ。

四角隆二(岡山市立オリエント美術館) 「イラン北部に流入したササン・ガラス-伝イラン由来資料の検討-」

1959年、イランのテヘランにある古物商の店から正倉院白瑠璃碗と同類のガラスが発見された。以降、多数の伝イラン北部由来品が
古物市場に流入し、博物館や個人のコレクションとなった。当時はカット・ガラス=ササン・ガラスというイメージが強かった。
こうした遺物と、同じくササン朝ペルシア領内のメソポタミア地方の出土品を比較し、イラン北部へのガラス器流入の在り方を考察する。

伝イラン北部由来ササン・ガラスとメソポタミア出土ガラス

ササン朝ペルシア領内でガラスが多く見つかっている地域はカスピ海南岸(イラン北部)とメソポタミアの2つ。
イラン北部は円形切子碗をはじめとする開放器形容器(碗、カップ、皿など)中心。一方、メソポタミア出土ガラスは文様のほとんどない閉塞器形容器
(ボトルや水差しなど)が中心。少量ながら切子ガラスもある。

伝イラン由来とされるガラスは盗掘品が多く、考古学的な情報が明確でないものが多い。メソポタミア出土ガラスも調査年代が古く、また未公表の資料も
多い。よって両者の比較は容易ではない。

 

↑ 左側がメソポタミア出土ガラス 右側がササン・ガラス。

メソポタミア地方はローマ帝国と近く、ササン朝でガラス生産が始まった後も東地中海のローマ・ガラスが流入していたと考えられる。

ササン・ガラスのカットでありながら組成はローマ・ガラスの資料の解釈

例えば↑のような斑点文ランプと称されるガラス。紺色の斑点文があり、その上下に線カットを有する。「ナトロン・ガラス」の「Levantタイプ」と判明している。つまり東地中海地域からもたらされたガラス。これと同様の装飾をもつガラスが↓

写真では見えにくいが、紺色斑点文の上側に円形カット、下側にも円形カットとその円の内側に十字形のカットを有する。
注目すべきは、斑点文ランプと同様に斑点文の上下に線カットがあるが、これが上下の円形カットによって消されている点。
もともとは線カットまでしかなかったローマ・ガラスが、後にササン朝ペルシアに流入した後でササン特有の円形カットが施されたと
思われる。

もちろん、植物灰ガラスにも同様のササン・カットが施された例もある

こうした例から、

ナトロン・ガラスだろうと植物灰ガラスだろうと、イラン北部でカットが施された。そうしたカット工房が存在したのではないか?と考えられる。
カット・ガラスが完成に至るまでには2つの大きな工程があり、熱い内に形を成形する「ホットワーク」と、冷ましてからカットを施す「コールドワーク」
がある。 この2つの工程が同じ場所で行われたと考える必要はない。また、ササン朝ではガラス工房が見つかっていないことからも、カットだけを
行っていた可能性が高いと思われる。

今回のテーマの趣旨とはずれるが、斑点文ガラスはメソポタミアでは2点しか見つかっておらず、これがイラン北部にもたらされるには、別のルートが
あったと考えられ、その第一候補としてカスピ海西岸のコーカサス地方が考えられる。ここから紺色斑点文のガラスが出土しており、メソポタミアから
カスピ海南岸へ行くよりもコーカサスから行く方がアクセスが容易である。

2017.02.14 00:33 | ブログ, 研究会

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