Blog:羅馬は一日にして成らず -2nd edition-

第11回アジア考古学四学会合同講演会「アジアの煌めき」⑤-12018.02.18

小寺智津子 「ガラスから見る古代東アジアとその交流」

次は中国のガラスについて。最近流行の化学的研究法ではなく、もっと根本的な部分で重要な考古学的観点からの研究です。日本にもたらされたガラスが中国を経由して渡ってくることもあり、日本のガラスを考える上でも重要な地域。やはり交易ルートの考察は外せません。また、ガラスは威信財としての側面も強いため、集団間の関係が分かることもあります。なお発表で多く用いられる「玉」は中国では翡翠などの貴石「ギョク」を示すため、これと分ける意味で「珠」という字が充てられています。

中国のガラス

  • 西周時代(前11世紀~前770年)~春秋期(前770年~前403年)
    中国出土ガラスでは最古のガラス、西方からもたらされたもの。
  • 春秋期末期~戦国時代(前403年~前221年)
    中原(黄河中下流)を中心とした有力人物の墓からとんぼ珠が出土、西方からもたらされたもの。
    戦国時代早期以降、西方のガラスを模倣したとんぼ珠が中国でも作られるようになる。
    漢代までに見られる中国製の珠の大半は鉛バリウムガラス。

このように最初は模倣から始まった*1。

やがて中国独自のデザインでガラス玉が作られるようになった。

戦国珠。天理参考館(撮影:島田)

例えば戦国時代の珠。同心円文の中に別の小さな同心円文を施したものなどが多数作られるようになったが、このような意匠は中国独自のもの。

とんぼ珠の技術はこれまでの中国では全く存在していなかったため、製作技術が伝播したと考えられるが、中国では今のところとんぼ珠をつくったと思われる工房は見つかっていない。

 

  •  漢代
    副葬品として出土

カリガラスの出現

これまでにない組成のガラス器が広西省を中心に出現。当初は西方のガラスと考えられたが、当時の西方ガラスにはない組成だった→両広地区(広東省・広西省の両地区)製作と今では考えられている。ベトナムでもカリガラスが見つかっているが、両広地区からは中国独自の耳璫(じとう=耳飾り)や珠も発見されているため、ここが製作地の可能性が高い。


広西省

広西のガラス

・鋳造のガラス器
・器内に同心円状の研磨痕
・外部に線文
・青色、緑色、透明度高い
・カリウムを12~17%含むカリガラス

谷一 2011, 『世界の切子ガラス』p60より 広西合浦県後漢墓出土 1世紀

図は中国広西の1世紀後漢墓から出土したガラス。発表で使われたものではないが同じ広西から出土したガラスで、研磨痕や線文が見やすいため掲載した。

広東のガラス

・広西とは器形がやや異なるガラスがある
・珠の色が紫や白色など器にはない色がある

以上のことから両広地区の複数の工房でカリガラスがつくられていたと考えられる。

西方でつくられたガラス

紀元前2世紀~紀元後2世紀の東地中海沿岸地域などで同類のガラスが作られていた。
鋳造ガラスで、色調は紫、黄色などもある。組成は西方ガラスの伝統的なソーダガラス。

これらのガラスが漢に渡り、中国で作られるようになった?(地中海産鋳造ガラスは見つかっていない)

交易ルートは海のシルクロードか

 

*1 中国の模倣ガラス:見かけは同じでもガラスの成分が異なるものとして由水氏が紹介しているものがある。
下の図の上段に貼目玉と呼ばれるガラス玉があるが、成分分析では左上2つはソーダガラス、右上2つが中国独自の鉛を含むガラスで作られていた例。

左上2つ:エジプト出土 右上2つ:中国出土 左下:エジプト出土 下中央:ペルシア出土 右下:中国出土 由水 1987 『ガラスの道』p.33より

 

2018.02.18 12:01 | ブログ, 研究会

コメントを残す