Blog:羅馬は一日にして成らず -2nd edition-

和泉蜻蛉玉の伝統を継ぐ「山月工房」①2019.09.18

大阪の和泉市はその昔、一大ガラス玉生産地だったことをご存知の方は
いらっしゃるでしょうか?恥ずかしながら、ガラスの研究に携わっている私も
その存在を知ったのはまだ1年ほど前のこと。

ミュージアムグッズの開発に関わる仕事の流れで
古代ガラスについての講演会をしたことがありました。
そこで初めてお会いしたのが山月工房の職人である松田有利子氏。
同じくガラス玉職人だった父から受けついで、和泉蜻蛉玉の伝統工芸
を守っている唯一の職人です。

その松田さんの山月工房にお邪魔しました。

昭和50年代半ばまで

松田さんが小さかった頃は、近所にはたくさんのガラス玉工房があって、
バーナーに空気を送るモーターの音がどこでも聞こえたそうです。
今でいうJR阪和線・信太山駅や北信太駅周辺のこと。信太山周辺は、ガラス玉を作る玉師が多く、
一駅離れた北信太周辺には、ガラス細工(動物などの置物)を作る細工師が多かったといいます。
これらは一見同じように見えても、技術的には異なります。このように地域差があったのも興味深い。

玉といっても色々あり、無地のガラス玉、模様のついた玉、人造真珠などがつくられていました。
また、ガラスつくりに使う道具類をつくるお店もあったといいますから、この一帯が本当に
一大ガラス玉生産だったことが分かります。そういえば、私が子どもの頃に夏祭りなどで行った夜店には
こういったガラス細工が売られていましたが、もしかしたらそれはこの地域でつくられていたのかもしれない。

ところが昭和50年代半ばくらいになって、どんどん工房が廃業していきました。
玉つくりの技術が中国に流出し、そこからの安価なガラス玉が逆輸入されるようになった
ことが原因ということでした。この話を聞いて、私はトルコのガラス工房を訪れた時のことを
思い出しました。薪でガラスを熔かして、坩堝から直接ガラスを巻き取って玉やガラス細工を
つくる伝統的なガラス工芸が、同じく中国からの安価なガラスによって壊滅状態にあるということを
職人から聞いたことがあります。このような現象はガラス工芸の業界だけでなく、いろいろな
業界でも聞く話ですが、時代の流れという言葉でくくってしまっては、この先もどんどん
歯止めがきかずに残したいものが消えていくような気持ちになります。

和泉蜻蛉玉の伝統を受け継ぐのが松田さんだけになってしまった背景にはこのような
事情がありました。

ガラス玉関連でおすすめの本を以下にピックアップしています。

2019.09.18 09:24 | ブログ, 和泉

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