『古代カルタゴとローマ』展
カルタゴといえばティールやシドンを拠点としていたフェニキア人が地中海を西方へ漕ぎだし、現在のチュニジアのボン岬の根元に位置する場所に建設した植民市です。航海術に長けたフェニキア人は地中海沿岸都市を中心に次々と交易網を広げていきます。それらの都市との貿易によって莫大な利益を得ました。交易品の一つにガラスがありました。
当時はまだ吹きガラスが発明されておらず、もっぱら小さなコア・ガラスやガラス玉・人頭玉などを扱っていました。特に人頭玉は、その愛嬌のある表情、巻き毛、あごひげを有し、そして白、黒、橙、紺、水色など多くの色を用いたカラフルな配色でガラス玉史上もっともユニークと言っても過言ではないガラスとして有名です。本カタログにはこの人頭玉が9点、しかも割と大きめに掲載されています。この他にコア・ガラスや装飾品の1パーツとして同心円文のガラス玉などがあります。ボン岬にあるケルクアンではガラスの窯が発見されており、フェニキア人の手によってガラスが作られていたことが分かっています。
貿易によって莫大な富を築いたフェニキア人はやがて地中海世界で驚異の的となり、前3世紀頃、イタリア半島で勢力を拡大してきたローマと衝突することになります。3度にわたる戦争で、一時はハンニバルによってローマの首元まで迫りましたが、最後は完膚なきまでに叩きのめされ、世界から消滅してしまいます。ことごとく都市が破壊されたことで、フェニキア人のことを知る手がかりが失われ、その結果、しばらくの間、フェニキア人は謎に包まれることになりました。しかし、近年の考古学的発掘の成果によってそのヴェールがはがされつつあります。
ローマによってことごとく破壊されましたが、カルタゴはその後、ローマ都市として復興を遂げ、再び繁栄します。ローマとアフリカの文化が融合し、建築も芸術もローマ風になり、フェニキア人によって繁栄していた時代とはまた異なる様相を呈しています。本書ではフェニキア人によって繁栄していた時代と、ローマによって破壊された後の時代にテーマを大きく2つに分けています。そして後者の時代に特徴的なのはモザイクです。色石を小さくきって並べ、図像を描く技法ですが、色石の他に使われたのが色ガラスです。
やがてローマ帝国領で吹きガラスが発明され、それが現代まで受け継がれていくことになります。この壮大な物語のほんの一部でしかありませんが、ガラス史の黎明期を示す貴重な資料はなかなか目にすることがありませんので、貴重なカタログです!
本カタログに掲載されている小論を執筆された佐藤氏、栗田氏は日本有数のフェニキア・カルタゴの研究者で、vitrum labookでも紹介している『通商国家 カルタゴ』を少し前に発行されています。この展示期間中に講演もされていました。
ここで紹介した本は下から選んでご購入いただけます。博物館カタログはここでは無いことが多いので博物館に直接お問い合わせくださいませ。