Blog:羅馬は一日にして成らず -2nd edition-

和歌山県・串本への旅012012.03.22

仕事(ガラスに無関係)に疲れた私は旅に出ることにしました。右肩があがらなくなったり、首から腰にかけて
凝り固まっていると診断され、このままではやばいと思ったのでした・・・

・・・と半分本気で現実逃避として旅に出たわけですが、癒しの旅のなか、やはり色々なものをガラスと結び付けてしまうこと
になってしまいました。しかし、なかなか面白い旅となりました。和歌山とガラスはあまり結び付かなかったんですが、日常品である
ガラスは、いろんなところで生活と結びついているんだなと改めて思い知らされました。

湯浅の醤油 ―瓶とケースのおはなし―

今でも昔ながらの醤油作りを残す湯浅を訪れました。湯浅の醤油の起源は13世紀といわれています。
味噌の中に野菜を漬けておくと塩の浸透圧によって生ずる水分は腐敗のもととなり捨てられていたのが、
利用してみると美味しいということで作られ始めたのが起源だとされています。湯浅の水が良品質の醤油に向いている
と言われたことから、湯浅の醤油が拡がっていったといいます。

ここでガラスと関連する話となるとケースと瓶が思い浮かばれます。

木箱に醤油瓶を詰めて、それを2段に重ねて何度も台車で運んでいる男性を見かけました。現在では瓶を運ぶために
木箱を使うことはあまり見なくなり、プラスチックの仕切りのあるケースをよく見かけます。大手のビールメーカーのロゴが
入ったものや牛乳瓶を何本かまとめて入れるようなやつです。しかしここでは昔ながらの製法のイメージをつぶさないように
するためか木の箱が使われていました。細かいですがそこまでのこだわりを感じます。

当然、むかしは瓶ものを運ぶためのケースといえば木製、それも全面木の板で作られた箱でしたが、かなり重くなります。
運搬に不便なことから桟箱という、細い木の板を組み合わせたものに変わっていきました。しかし木製の桟箱は朽ち安く、
釘を打って作る手間があったことからやがてプラスチック製へと変わっていったとされています。あるドイツ人がポリバケツで
遊んでいた子どもをみてプラスチック製の箱を思いついたそうです。最初は酒びんに、そして昭和50年前後に醤油業界でもプラスチック箱
が利用されるようになったそうです。

また、瓶にもそれなりの発達史があります。醤油は江戸時代では樽や徳利や壺に入れて売られていましたが、瓶が国内で作られるようになると
瓶詰めで売られるようになっていきます。スーパーでは今やペットボトルの醤油が主流となっていますが、瓶は現在、ペットボトルに取って代わられ
ようとしているのが今の時代です。とはいうものの、伝統的なイメージを前面に出す場合は、今でも徳利などに入れられた醤油が売られています。
ここ角長でも販売されていました。 昔ながらの醤油は味わい深く、どんな料理にも合うということです。脂身の多いブリなどは好みが分かれるそうですが。

ちなみに角長があるあたりは昔ながらの建物が多く残っていて、いい雰囲気でした。

2012.03.22 22:09 | 串本, 旅行

コメント(2件)

  1. Randy > 返信
    水中考古学をやっています、Randyです。いろいろと水中考古学についても書かれていたので、時々拝見しています。さて、串本行かれたんですね!トルコ軍艦のエ号が発掘調査されていますので、もし、まだ串本でしたら資料館など見に行ってください。ジョージ・バス先生などと一緒に私も参加したことがあります。
  2. Vitrum Lab. > 返信
    Randyさま
    はじめまして!コメントありがとうございます。
    水中からガラスが発見されることも多く関心が
    あります。後々アップするつもりですがエ号のところ行きました。

    この調査に関わっていらしゃったとは驚きました!
    実はエ号遺品について解説がなく少し不完全燃焼で
    帰ってきました。ガラスのペーパーウェイトと用途不明のガラスがありましたね。他にもみつかっているんじゃないかなど気になりました。何かご存知でしたらぜひ教えて下さい!

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